退院
親父が無事(?)退院した
っても見た目はほとんど変わってないし、どちらかというと治療でまともに食えない生活を送っていたせいで10kg近く痩せたようで、見た目は明らかに弱化してる
頚部の腫瘍も素人目にはほとんど変わってないように見える
担当医と面と向かって話し合う機会がなく病状についてはすべて親父伝いのことだからどこまでが合っているのかはわからない
が、以前電話で話したときは放射線の影響で喉が焼け非常に聞き取りづらかった声もだいぶ戻っていて、まだまだ擦れてはいるものの聞き取る分には問題ないレベルだった
腫瘍部分も放射線で赤くなっていて皮膚も剥がれていたのはやけどの影響だろうか?わからん
親父が先生に聞いた話曰く、これらの治療で腫瘍の肥大は止まりローペースではあるが小さくなっているらしい。だけど日によって大きくなっていることもあるみたいで正直治療の効果があったのかは傍目には謎である
これがいわゆる小康状態というやつだろうか?
当の本人はいたって元気で車の運転もできるようだし、さすがに長時間歩いたり動くことはまだまだ体力的に厳しいものの、日常生活を送る分には問題がないっぽい
まぁもともと体力はあるほうだったし入院する前も問題なく動けていたから何が変わったのかは、これも正直謎である
とはいえ治療をしていなかったらもっと悪化していただろうし下がるか現状維持かを期待するなら現状維持なのは間違いない
退院当日、自分の車で迎えに行ったわけだが車中で親父の一言
「カップラーメン食いてぇ…。カレーもいいなぁ…」
入院経験のない自分は徹底された健康管理の行き届いた病院食というのがどれほどのものかわからないが、以前親父が脳梗塞で倒れ入院し、退院した際の昼食が塩ラーメンだったことを思い返すと、やはり味の濃いものに引かれるのは退院患者の性なんだろうか?
が、まだまだ親父の闘病生活は終わらない
首の腫瘍は依然大きいままだし、通院しながら治療するわけだが…まぁいろいろ大変だろう
経済的な面もさることながら精神的な負担も続くわけだから親父の苦悩は当分終わりそうもない
『癌(ガン・がん)』
あらゆる人を絶望に陥れる不治の病…
そう恐れられていたのははるか昔、今はあらゆる治療方法が確立されガン自体治らない病とも言われなくなった
と同時に「二人に一人」は罹る生活習慣病になった
その最終系である末期がんを患った親父だが、正直悲壮感のようなものを本人から感じることはこの数か月なかった
コロナのせいで細かな面会が出来なかったのも相まって状況が掴めないこともあって、俺を含む周りが過大な心配をしすぎていたきらいさえある
退院して親父の顔を久しぶりにみたがなんら以前と変わらない雰囲気。若干ハゲたか?と思うぐらいだが、まぁ年齢的にキてもおかしくない
心配していたのがバカみたいだ―――とは思わないが、現代の医療はその心配に応えうる効果を発揮してくれたはずだ
最後に、ガンは決して怖くないものだと思い、筆をおく。
結局…
PET検査でわかったことは全身、内臓器官にはそれらしい病巣が見当たらないこと
ただし腫瘍が大きく動脈とくっついてしまっているため手術は難しいこと
普通に考えたら急を要す状態であるのは言うまでもない
とはいえ実際のところ今どうこうなるのか、どうするべきなのか分からないというのが本音である
とにかく大学病院の予約をして整った設備で検査なり治療なりをするのが最優先であり、先生の話を聞いてすぐに大学病院への予約をとった
さすがに曇った表情をする親父だったが「なっちまったものはしょうがない」と言うだけあってその日の昼食はコンビニのカップラーメンを食べた
脳梗塞になったことがある親父はこの数年、塩分や栄養バランスには気を遣っていたし妹や俺の妻も定期的に実家へ訪れては出汁をメインに使った料理をふるまっていた
魚はもともと毎日食べていたので塩鮭や塩サバといった塩分過多になりがちな魚を避けて真魚に、野菜もホウレンソウやゴボウといった緑黄色野菜、食物繊維の豊富なものを摂るようになった
人間の人生80年、たった数年で改善されるほど簡単なものではないが少なくとも不健康な道を歩むことはしていないと思う
実際60半ばという年齢からすればよく動く方だし、体のあちこちが痛んでいるもののだからといって動けないというほどヤワではなさそうだった
そんな親父でもこんな病気にかかってしまうのだから運が悪かったのかもしれない
4月11日、治療方針などの説明をするために同行者も含め大学病院に来てほしいとのことで親父を連れて大学病院に向かった
もう見慣れた耳鼻咽喉科という文字のある待合室、コロナのチェックシートに記入を終え呼ばれるまで約1時間、様々な人たちがその脇を歩いて行った
まだ10代と思われる子供が車いすに座っていたり、親父よりも年上だろう老人が足取り重く歩いていたり…病院というのはやはり独特な空気感に満ちている
そういう人たちを見てしまうと否が応にも気持ちが落ちてしまう、というのは贅沢な感想だろうか。少なくともそういった人たちに対して真正面から言うには憚られる感想なのはいうまでもない
親父の名前が呼ばれ診察室に入るとやはりどこも同じような設備で白を基調にした室内に、無機質な診察に使う器具が並んでいた
机には大きなモニターにCTかMRIか、検査で使われたX線写真が写されている
まず先生がモニターの画像を見せつつ実際にどういう状況になっているのかの説明をより詳しくしてくれた
そこで見えてきたのは手術ができない理由の大部分を占める動脈についている腫瘍のことだった
「今腫瘍が動脈を180度覆っている状態でして、これが内側に行くと動脈を完全に囲ってしまう」
正直それがどういうことなのか俺にはわからない。もちろん親父にも
「それが進行するとどうなるかというと腫瘍が動脈を物理的に圧迫してしまい、単純に血流が滞ってしまいます。こうなると血栓で心筋梗塞や脳梗塞のリスクが増えてしまいます」
なるほど、となった
どうやら動脈というのは普通の血管と違いある程度硬い膜で覆われていて、ちょっとやそっとでは腫瘍と完全に癒着することはないらしい
しかし今回のケースでは親父の首に出来た腫瘍は動脈を180度かぶさった状態にあり、また右の正常な動脈も加齢により狭窄状態にあるため、そうなると全身へ送る血液が弱くなってしまう危険性があるとのことだった
「次にその腫瘍が外側へ成長した場合、癌が外へ露出し癌を含んだ血液や膿が出てきます。いわゆるこれが皮膚がんの最終系ですね」
この際どちらがいいことなのかはわからないが、どちらにせよこのまま放置するのはただ死期を呼び込むだけだというのは誰にでもわかることだ
そこで医師が提示した治療法は2つ
まずは放射線治療と抗がん剤治療の併用。これによりガンそのものを死滅させ、小さくなるのであれば切除、そうでなくとも影響のない範囲まで小さくさせることを目的とした根治を目指す治療
もう一つが放射線のみの治療であった。これは放射線治療で患部に当てていき経過に合わせて治療を適時変えていくというものだ
医師が言うには基本は前者が最も強力な治療法であるが体への負担はかなり大きく、特に抗がん剤の副作用が肉体的に耐えられないことが半分近くあるらしくそういったリスクもあるということ
後者は今の放射線治療は放射線自体の副作用の心配こそほとんどしなくてもいいが頚部(首回り)ということで、喉がやけどしてしまい食事がしづらくなるということ
しかし後者を選ぶにしろ結局放射線治療が大事なことで結果的に食事は満足にとれなくなるだろうから、胃から直接栄養を取るために胃ろう手術は必要だろうとのことだった
そこで俺は聞かずにいられなかった
「それで完治…治るんですか?」
「それはわかりません。あとで紙で渡しますけどステージ4Bなので…ただ根治の期待はできます」
ここで俺も親父も初めて医師から『ステージ4』という言葉を聞いたのである
ただ正直俺にも親父にもある程度の覚悟はあったし、俺自身は「ステージ4=末期ではない」というのをネットで調べて知っていたので、医師が続けて言った根治の期待はできるという言葉のほうが強く響いた
ただそれでもやはりステージ4というのは重いもので、そもそもそれら治療を最後まで続けられるかどうかが分からないため後がない状況なのは言うまでもないだろう
「どちらの治療にしますか?」
なんて馬鹿な…と思うかもしれないが治療方針は本人の意思に従って行われるもの
親父は「やるしかないでしょう」と口を開いた
そして親父の本格的な治療がこれから行われる
入院予定日はGW空け。それまでに放射線を当てるための面の準備や抜歯などを済ませる準備を行っている
さっき親父から抜歯が終わったと連絡があり、脳梗塞のために飲んでいた血流を良くする薬のせいなのか血が止まらないとも言われた
なんとも不便なものである。しかしそれでも俺がやれることは限られている
せいぜい親父の泣き言や文句のはけ口になってやれるぐらいしかないのだ
ただ少なくとも親父の治療が上手くいき、先日生まれた妹の娘の顔をせめて見れるまで元気でいてほしいと願うばかりである
親父の戦いは始まったばかりだ
ガンという病気の不思議
これを投稿した3週間ほど前に親父はより精密で全身を調べられる『PET検査』を受けてきた
その日はどうしても外せない用事があったので親父一人で市内の専門病院へ車で向かっていった
俺が帰宅して自分の家に着いたのが18時ごろでスーツを着たままの姿で親父に電話した
親父の第一声は驚いたことに院内の綺麗さと豪華さ、さながらホテルのような病院だったとはしゃぐ声だった
行った検査が検査なだけにそんなことで喜んでる場合じゃないだろう…と思ったが、こともなく検査が進んでとりあえずは一安心する
とりあえず検査結果が出るのが大体数日かかって元の病院で検査結果を聞くことになるとのことで、そもそもどういう検査をしたのか尋ねるとイマイチ要領を得なかったのでまた数日後なんとか午前休取るよと伝え電話を切った
ではPET検査とはなんなのか?
親父との通話を終えた後、家族で夕飯を取った後パソコンでガンの検査についてもう少し深く調べることにした
まずガンかどうかが疑わしい、という段階で検査しても体の中はある程度ガン侵され進んでしまっていることが多いらしい
親父と同じ扁平上皮癌が皮膚上に出来たものならば目に見える異変だし検査をすれば早期発見もできるだろう
しかし内臓系のガンは大抵痛みや咳など何かしらの違和感が出て気づくもの
それらの違和感が出始める=すでにガンが体に居座って期間が経っているということだ
そうなると外科手術が出来る範囲なのか、それとも投薬や放射線をするしかないのか、あるいは痛みと進行を抑えるだけの緩和ケアに入るのか…
特に若い人のガンの進行は早いと聞く。違和感が出てから検査しても手遅れの可能性もあるのだ
今でこそ定期的なガン検診を会社で保証していたり、人間ドックの項目に組まれていたりするが、こと親父に関してはそんな検査を全くしたことがない
なんならコロナが流行る前に患った脳梗塞の時になってようやく血液検査などを行うぐらい健康診断には縁がなかった昭和30年生まれ
市から送られてくる検診のお知らせも最近届いたばかりだし、そもそも親父に限らずほとんどの人たちは『自主的に全身の検査を年1回のペースで行う』ことはしないはずだ
ましてやガンはポピュラーな病なのにガン検査を行う人の増え方が人間ドックに比べて緩やかである、という記事も目にした
それだけ大多数の人間がガンという病気をどこか他人事のように考えている節が、様々な記事から感じ取れた
親父が受けたPET検査もそのガン検査の項目に入っていることもあって、その検査がガンを見つけるいいものだという
PET(Positron Emission Tomography)検査とは?まずほとんどの人が聞いたことないだろう。俺だってギリギリ腫瘍マーカーの存在をしっているぐらいである
どんな検査かといういうとガンがブドウ糖や糖類といったものに強く反応することを利用した検査方法である
まず人体に影響のない医療で使われるブドウ糖を打つ。1時間ほどしてそれらが全身に回った後、特殊な機械(MRIとは違う?俺にはわからん)で体を取る
するとガンがブドウ糖を取り込んで活発になっていたらその箇所が黒く映る
それでガンの大小であったりどの臓器にガンがあるのか一目でわかるのだ
実際は専門の人が見て黒くなっているけどガンではないとかあるかもしれないが(一般的に膀胱や脳はそれらの塊であるため黒く映ってもガンではない可能性があるとのこと)、とにかく親父はそんな大層な検査を行ったでのある
4月7日、親父のPET検査の結果がわかった
画像を見せつつ医師がガンの場所を教えてくれた
これまでの検査の通り親父がガンに侵されていたのは頭頚部のみで、他はそれらしい箇所がないとのことだった
扁平上皮癌は肺から来ることが多いと調べて分かっていたので、ひとまず肺にガンが出来ていないことに安堵する
肺がんはいわゆる発見された段階で手遅れなことがガンの中でも非常に多く、どれだけ生きれるかという指標である5年生存率でも肺ガンや膵臓ガンは10%前後になっていた
肺ガンではない―――その安心が深い息となって診療室に溢れた
と同時にある疑問が浮かんできた
じゃあ親父の首に出来たガンはどこからきたんだ?
扁平上皮癌はリンパに乗って肺などからいろんな箇所に行くことが多いと調べてわかっていたので、いわゆる原発巣がわからないのである
俺は少し齧った単語で先生に聞く
「つまり原発不明癌ってやつですか?」
ガンは自分の大本であるガンがあり、それが血液などにのって他の臓器へ広がせていくのが基本であり、原発巣はどこかしらに存在するのが普通だった
しかし極稀に原発巣がわからない、どこが起因となったガンなのかわからない原発不明癌という症例があるらしい。それがいいことなのか悪いことなのかその判断は俺に出来ないが、とにかく親父のガンはその可能性が高いとのことだった
「一応もう一つの可能性としては扁桃腺など首回りに出来ている可能性があります。黒くなっている箇所が肥大すぎてそれに隠れてしまっている可能性ですね」
俺は先生の口から出てくる言葉の一つ一つを噛みしめながらどうすればいいのか聞いた
「まず当院では手術できません。動脈が近い位置に腫瘍があるのでリスクがあるのです。大学病院なら施設もいいですし、外科手術をするならばそちらのほうがいいです」
ハッキリ言いきられてしまった。それはつまり親父の首元にある大きな首相は切除できないということだ
ガンの最良と言われる標準治療の第一に外科治療があったので、それができないということは必然的に抗がん剤や放射線治療しかないということになる
そして俺の中でのガンを切らない=『切っても無駄』というイメージが少なからずあった
外科手術をすることで患者の体力を奪い、より死期を近くしてしまうというのはどうしてもあるようで、特に親父は65を超えている
体力的にも病域的にも手術がリスキーかもしれない、と医者はいうのだ
ガンは取ってしまえば怖くない……
そう、ガンは切れるうちに切っておくのが最も予後がいいのだ
俺の中にガンの摩訶不思議がどんどん出てきてしまった
先進医療国であるアメリカではそもそも切らずに『ガンと共存する』なんてことも言われてるらしい
体のことを考え取り除かない。しかし取り除かないと体にとってはよくない
この二律背反に親父は立たされてしまったのだ
全ては大学病院の専門医がどういう決断を下すのかである
親父にとっては一種の””死刑宣告””にも近しいそれを聞かなきゃならない本人の心境は知る由もない
―――親父は肝心なことをいつも言わず、自分の中で抱え込んでしまう性質なのだ
安心と困惑
とりあえず親父の首に出来たそれが一体何なのかという検査の結果が出たから一緒に大きな病院へ向かった
朝9時、駐車場は既に混んでいた。近隣は住宅街ですぐ近くにはドンキがある
小学校や障がい者訓練施設もあって結構騒がしい場所。宮城県でこれだけのヒントがあればわかる人にはわかるハズ
自分は初めて訪れる病院だから親父に先導してもらいつつ院内の廊下を歩く
様々な診療科医がフロア毎に区切られていて釣り天上の案内板で目的の科へ進むと、見えてきたのは案内通りの耳鼻咽喉科
耳鼻咽喉科の待合室には朝早いにもかかわらず7~8人いて、それでいて思いのほか若い人もいたのを今も覚えている
印象的だったのは目と首に包帯を巻いて診療所から出てきた人がいたこと。正直この段階の俺の心境はどこか他人事のようで、親父の腫れた首を見ながらも他人の容態のほうに気を取られていた
待合室で俺と二人座り呼ばれるまで待つこと1時間、朝いちばんにきたのにこんなに遅いのか…いやこれだけ大きい病院ならしょうがないか、と思いつつ親父と一緒に呼ばれた診療室に入る
診療室内には簡単な治療器具?が鎮座していて恐らく母親だろうか、親父よりも若いが俺よりも一回りほど違う女性と、診療台で横になっているのはまだ10代前半の女子が治療を受けていた
事ここに至っても俺は親父の容態を聞くよりその女の子のほうが印象強く気になっていたが、自分と同い年ぐらいの医者がMRIの画像と検査結果をモニターでこちらに見せつつ口を開く
「病理診断の結果、悪性腫瘍でした。ガンです。扁平上皮癌というガンです」
あっ…となる
ガンと聞いた瞬間「マジか…」と思う反面「やっぱりか…」となった。どちらにせよ最悪の想像通りになっていた
親父の表情を横目で見る。なにも変わらない、すました表情。実際もしもの話をしたときに親父は「まぁなっちゃったものはしょうがないよな」と口にしていた
本心や心持ちは正直わからない。俺は親父じゃないから
医者は検査結果をより細かくこちらにも分かり易いように伝えてくれた
要約すると
・扁平上皮癌である
・大きさは4~6cm
・転移したものなのか病巣源なのか、全身をより詳しく検査しましょう
といった具合である
最後に手渡されたのは病理診断書。そこには扁平上皮癌であると書かれていた
親父は診断結果を聞いた後により細かい検査をするためにもう少し院内に残るということで終わったら連絡するように伝え、俺は車へ向かった
車内で手渡された診断書に目を落としつついろいろな事を考える
「ドラマで聞くようなステージはいくつなんだろう?」
「もしかして早期発見?いやあんなにでかくて早期なわけが…」
「もう全身に転移してる?」
「普段痛がっていたのはガンの影響か?」
正直冷静ではなかったと思う
それでもお茶を飲んで一息はいてからスマホで扁平上皮癌のことについて調べることにした
扁平上皮癌、別名『有棘細胞癌』とも呼ばれるもので皮下細胞に出来てしまうガンのことだ
皮膚表面に現れる人もいれば親父のように皮下で出来てしまう人もいる。どちらがいいのかと個人的な感想を述べるのであれば目に見える表面のほうがいいと思う
このガンは肺とかそういった個所に出来やすい、らしい。いろいろ調べたけど学のない俺には少しもわからなかった
とにかく親父はそれに罹ってしまったのだ
少しホッとしたのはそれに付随する大本である肺がんなどのリスクは今のところ見られないこと
扁平上皮癌自体の進行速度が緩やかであることだった
と同時にこの事実を誰誰に伝えるべきか悩んだ
俺は4人兄弟の2番目、上には40を超えた姉と、妹と弟がいる
妹はその時逆子が34週を超えても治らない状態であり産婦人科に入院していた。母子のことを考えると実父の病気について言及するのは精神的によろしくない
弟は独り身なれど定期的に親父に顔を見せていたので伝えるべきだと思った
姉は関西に住んでいるが親父のそれを伝えたら宮城にまで帰ってきてしまう。このコロナ禍のなかでそれは難しいと考え、身内に伝えるのは弟だけにした
俺が当初抱いていた『ガン』というものに対する認識が変わったのはこの車内である
そもそもガンは万病であり今となっては決して治らない病気ではない
しっかり治療すれば日常生活を不自由なく送れるようになる
ただ皆想像してみてほしい
自分の親が、子供が、親しい人が
あるいは有名人でもいい
そんな人たちがガンに罹るという事実を知ったとき、真っ先に思い浮かぶのは『死』ではないだろうか
少なくとも俺は親父がガンであることに理路整然と調べて事実を事実として頭に入れてはいたが、その奥底には間違いなく死がちらついていた
いずれ親父は死ぬ
遅かれ早かれ皆死ぬのだから結果として死ぬという事実は受け入れがたいものではない
しかし過程がガンであるということはあまりにも事実としては大きすぎることである
―――だからこそ『死』という事実を『ガンは治せるもの』という事実で上書きしていたのかもしれない
俺は親父のガンを受け入れつつもまだどこか他人事のようで…なんて親不孝なんだ、とせめてここに記したい
親父が末期がんだった ステージ1
タイトル通り、いろいろな検査を経て親父が『末期がん』だということが判明した
みんなは末期がん、ひいては『ガン』というものにどういうイメージを持っている?
俺の中にあった当初のイメージはそれこそ不治の病
多分ほとんどの人がこれに近いイメージを抱いていると思う
俺がそのガンという単語から真っ先に浮かんだのが、唐沢寿明演じる白い巨塔のメインである財前五郎がガンで闘病の末死んでしまうというものだった(財前五郎構文というコピペを最近見ていた影響もある)
ただ親父がガンを患ってからいろいろ調べるうちに最近の医療の発展がめざましく、不治の病とは呼ばれなくなり根治も十分見込める病気だと知った
それと同時に日本人の2人に1人はガンを患うというのも知れた。思ってた以上に身近な病気で、親父がそれに罹るのも年齢を考えれば仕方がなかったのかもしれない
そもそもガンという病自体が人間だれしも体の中に持つもので、結果としては自分自身の異常化した細胞が悪性となり体を蝕んでしまうもののようだ
なるほど2人に1人という高確率で患う病というのも頷ける
ガンの基本的な治療は主に3つ『外科治療』『化学療法』『放射線療法』存在し、進行具合によって方法が変わってくるが基本的にはこの3つを主軸にガンと闘っていく
外科治療は読んで字のごとく手術である。数ミリだったりまだ深く浸潤していない場合は近隣の組織ごと切り取ってしまおうというわけだ
予後がよければ根治でき、数か月に何度か通院して他の個所に転移していないか検査しつつ完治させる治療方法だ
化学療法は手術では取り切れない、あるいは手術が難しい箇所のガンに対してそれらの増殖を抑えつつ再発や転移を防ぐ目的で行われる
抗がん剤を投与して全身を巡らせるわけだから局所的な効果というより、広範囲にわたって効果が望めるものであり、注射や錠剤など様々な形で受けられるのが特徴。
ガンの治療=副作用が強い、というイメージは多分この抗がん剤の副作用のことだと思う
そして放射線治療、これは患部に放射線を当ててガン化したDNA組織そのものを破壊する治療方法。俺の中のガン治療の基本がこれだった
放射線ときいて思うことは皆多々あると思う。実際俺の住む宮城県のすぐ近くには2011年に起きた東日本大震災によりメルトダウンしてしまった原発があったり、最近だとロシアとウクライナの戦争のさ中、チェルノブイリの話題を目にした人も多いはず
まあ今はそんな放射線の是非は置いといて、治療で行われる放射線治療。
これが近年最も進化したガンの標準治療の一つみたいだ。もちろん短時間で微量とはいえ放射線を体に当てるわけだから心身に影響がないわけじゃない
当てた患部の皮膚はやけどを負うし、体内の正常な組織も破壊されてしまう。それに伴うダメージはやはり人間にとっていいものではないし、ましてやそれらが内臓器官に及ぶものだと考えたら放射線治療はガン治療における最終兵器なのかもしれない
じゃあ実際親父が提案された治療方法はなんなのか
まず親父の容態だがガンの種類は『扁平上皮癌』というものだった。この扁平上皮癌は肺とかに出来やすいガンが転移したもの、らしい。親父の場合は全身のMRIやPET検査でも異常が見当たらず、現状原発不明癌ということになっている。正直調べてもよくわかんなかった…
とにかく親父はそれに罹り、側頚部に腫瘍が出来てしまった
その以上に気づいたのは今から2か月ほど前まで遡る
仕事の帰宅途中に実家があるのでなんとなしに帰り何でもない夜ご飯を食べつつテレビを見ていたら親父が
「首にシコリあるんだよな」
と
年齢も年齢だし体のあちこちにガタが来てもおかしくない。なんなら大工をしている親父は年中体のどこかしら痛いとすら言っていた
とはいえ場所も場所だからスマホで「首 しこり」とか検索して親父が感じる自覚症状と照らし合わせていった
リンパ節炎、甲状せん、食道……いろいろ出てきたが首の横ということで、本当はよくないし気づいた段階で強く言うべきだったが俺は「ちょっと様子見てみたら?」と言ってしまった
1週間が過ぎたあたり、なんとなく気になってしまいまた帰省、親父の首回りを見てみるとそれは俺が知るしこりや腫れというものじゃなかった
―――明らかに以前よりも大きくなっている
俺はさすがにただ事じゃないと思い父に病院へ行くよう強めの口調で言った
コロナが大流行するよりも前、親父は脳梗塞をやらかしている。その時はすぐに病院へ駆けつけたおかげで一部視野が欠損する程度で収まった
脳に比べたら首のなんて…と思っていたが実際目の当たりにすると言わざるを得ない
ただここで素直に病院へ行くような親父じゃなかった
親父の性格はまさに『ザ・昭和』であり、病院は本当に危険になってから通うものと思っているようで、息子からどうこう言われたぐらいで行くようなことはしなかったのである
今思えばここが分岐点だったのかもしれない
そこからさらに数日後、親父から電話があった
「薬をもらうがてら脳の先生に見せてもらったら耳鼻咽喉科の先生を紹介してもらった。見たところリンパではないらしい」
脳専門の先生だから確定的なことは言えないにしろある程度は人体に明るい先生がおかしいと感じるのならそうなんだろう
こと親父も世話になっている先生に言われたら病院に行かざるをえまい
数日後、俺が付き添いの元結構大きめな病院へ行くことになった
どうでもいいことだが町医者は行きなれてても、大きな病院というのはそこにあるだけで圧迫感を感じるのはなぜだろう?
俺自身大病を患うことは今までないし、群発頭痛という若干特殊(?)なものに悩まされてはいるが入院、手術ができるような総合病院にはお見舞いぐらいでしか言ったことがない
そのときですら気後れしてしまったのだから、ことさら自分の父親のこととなると正直ビビりっぱなしだったのは言うまでもない