親父の末期がん

親父がまさかの末期がんだったのでその心境などを個人メモ的な感覚で

安心と困惑

とりあえず親父の首に出来たそれが一体何なのかという検査の結果が出たから一緒に大きな病院へ向かった

朝9時、駐車場は既に混んでいた。近隣は住宅街ですぐ近くにはドンキがある

小学校や障がい者訓練施設もあって結構騒がしい場所。宮城県でこれだけのヒントがあればわかる人にはわかるハズ

 

 

自分は初めて訪れる病院だから親父に先導してもらいつつ院内の廊下を歩く

様々な診療科医がフロア毎に区切られていて釣り天上の案内板で目的の科へ進むと、見えてきたのは案内通りの耳鼻咽喉科

 

耳鼻咽喉科の待合室には朝早いにもかかわらず7~8人いて、それでいて思いのほか若い人もいたのを今も覚えている

印象的だったのは目と首に包帯を巻いて診療所から出てきた人がいたこと。正直この段階の俺の心境はどこか他人事のようで、親父の腫れた首を見ながらも他人の容態のほうに気を取られていた

 

 

待合室で俺と二人座り呼ばれるまで待つこと1時間、朝いちばんにきたのにこんなに遅いのか…いやこれだけ大きい病院ならしょうがないか、と思いつつ親父と一緒に呼ばれた診療室に入る

診療室内には簡単な治療器具?が鎮座していて恐らく母親だろうか、親父よりも若いが俺よりも一回りほど違う女性と、診療台で横になっているのはまだ10代前半の女子が治療を受けていた

事ここに至っても俺は親父の容態を聞くよりその女の子のほうが印象強く気になっていたが、自分と同い年ぐらいの医者がMRIの画像と検査結果をモニターでこちらに見せつつ口を開く

 

 

「病理診断の結果、悪性腫瘍でした。ガンです。扁平上皮癌というガンです」

 

あっ…となる

 

ガンと聞いた瞬間「マジか…」と思う反面「やっぱりか…」となった。どちらにせよ最悪の想像通りになっていた

親父の表情を横目で見る。なにも変わらない、すました表情。実際もしもの話をしたときに親父は「まぁなっちゃったものはしょうがないよな」と口にしていた

本心や心持ちは正直わからない。俺は親父じゃないから

 

医者は検査結果をより細かくこちらにも分かり易いように伝えてくれた

要約すると

・扁平上皮癌である

・大きさは4~6cm

MRI内視鏡では口の中や胃など異常は見当たらない

・転移したものなのか病巣源なのか、全身をより詳しく検査しましょう

といった具合である

 

 

最後に手渡されたのは病理診断書。そこには扁平上皮癌であると書かれていた

 

 

 

親父は診断結果を聞いた後により細かい検査をするためにもう少し院内に残るということで終わったら連絡するように伝え、俺は車へ向かった

車内で手渡された診断書に目を落としつついろいろな事を考える

「ドラマで聞くようなステージはいくつなんだろう?」

「もしかして早期発見?いやあんなにでかくて早期なわけが…」

「もう全身に転移してる?」

「普段痛がっていたのはガンの影響か?」

正直冷静ではなかったと思う

 

それでもお茶を飲んで一息はいてからスマホで扁平上皮癌のことについて調べることにした

 

 

扁平上皮癌、別名『有棘細胞』とも呼ばれるもので皮下細胞に出来てしまうガンのことだ

皮膚表面に現れる人もいれば親父のように皮下で出来てしまう人もいる。どちらがいいのかと個人的な感想を述べるのであれば目に見える表面のほうがいいと思う

このガンは肺とかそういった個所に出来やすい、らしい。いろいろ調べたけど学のない俺には少しもわからなかった

 

 

とにかく親父はそれに罹ってしまったのだ

少しホッとしたのはそれに付随する大本である肺がんなどのリスクは今のところ見られないこと

扁平上皮癌自体の進行速度が緩やかであることだった

 

と同時にこの事実を誰誰に伝えるべきか悩んだ

 

俺は4人兄弟の2番目、上には40を超えた姉と、妹と弟がいる

妹はその時逆子が34週を超えても治らない状態であり産婦人科に入院していた。母子のことを考えると実父の病気について言及するのは精神的によろしくない

弟は独り身なれど定期的に親父に顔を見せていたので伝えるべきだと思った

姉は関西に住んでいるが親父のそれを伝えたら宮城にまで帰ってきてしまう。このコロナ禍のなかでそれは難しいと考え、身内に伝えるのは弟だけにした

 

 

俺が当初抱いていた『ガン』というものに対する認識が変わったのはこの車内である

そもそもガンは万病であり今となっては決して治らない病気ではない

しっかり治療すれば日常生活を不自由なく送れるようになる

 

 

 

 

 

ただ皆想像してみてほしい

自分の親が、子供が、親しい人が

あるいは有名人でもいい

 

そんな人たちがガンに罹るという事実を知ったとき、真っ先に思い浮かぶのは『』ではないだろうか

 

少なくとも俺は親父がガンであることに理路整然と調べて事実を事実として頭に入れてはいたが、その奥底には間違いなく死がちらついていた

 

いずれ親父は死ぬ

遅かれ早かれ皆死ぬのだから結果として死ぬという事実は受け入れがたいものではない

しかし過程がガンであるということはあまりにも事実としては大きすぎることである

 

―――だからこそ『死』という事実を『ガンは治せるもの』という事実で上書きしていたのかもしれない

 

 

 

俺は親父のガンを受け入れつつもまだどこか他人事のようで…なんて親不孝なんだ、とせめてここに記したい