親父の末期がん

親父がまさかの末期がんだったのでその心境などを個人メモ的な感覚で

ガンという病気の不思議

これを投稿した3週間ほど前に親父はより精密で全身を調べられる『PET検査』を受けてきた

その日はどうしても外せない用事があったので親父一人で市内の専門病院へ車で向かっていった

 

 

俺が帰宅して自分の家に着いたのが18時ごろでスーツを着たままの姿で親父に電話した

親父の第一声は驚いたことに院内の綺麗さと豪華さ、さながらホテルのような病院だったとはしゃぐ声だった

行った検査が検査なだけにそんなことで喜んでる場合じゃないだろう…と思ったが、こともなく検査が進んでとりあえずは一安心する

 

とりあえず検査結果が出るのが大体数日かかって元の病院で検査結果を聞くことになるとのことで、そもそもどういう検査をしたのか尋ねるとイマイチ要領を得なかったのでまた数日後なんとか午前休取るよと伝え電話を切った

 

 

 

 

 

ではPET検査とはなんなのか?

親父との通話を終えた後、家族で夕飯を取った後パソコンでガンの検査についてもう少し深く調べることにした

 

まずガンかどうかが疑わしい、という段階で検査しても体の中はある程度ガン侵され進んでしまっていることが多いらしい

親父と同じ扁平上皮癌が皮膚上に出来たものならば目に見える異変だし検査をすれば早期発見もできるだろう

 

しかし内臓系のガンは大抵痛みや咳など何かしらの違和感が出て気づくもの

それらの違和感が出始める=すでにガンが体に居座って期間が経っているということだ

そうなると外科手術が出来る範囲なのか、それとも投薬や放射線をするしかないのか、あるいは痛みと進行を抑えるだけの緩和ケアに入るのか…

特に若い人のガンの進行は早いと聞く。違和感が出てから検査しても手遅れの可能性もあるのだ

 

今でこそ定期的なガン検診を会社で保証していたり、人間ドックの項目に組まれていたりするが、こと親父に関してはそんな検査を全くしたことがない

なんならコロナが流行る前に患った脳梗塞の時になってようやく血液検査などを行うぐらい健康診断には縁がなかった昭和30年生まれ

市から送られてくる検診のお知らせも最近届いたばかりだし、そもそも親父に限らずほとんどの人たちは『自主的に全身の検査を年1回のペースで行う』ことはしないはずだ

ましてやガンはポピュラーな病なのにガン検査を行う人の増え方が人間ドックに比べて緩やかである、という記事も目にした

それだけ大多数の人間がガンという病気をどこか他人事のように考えている節が、様々な記事から感じ取れた

 

 

親父が受けたPET検査もそのガン検査の項目に入っていることもあって、その検査がガンを見つけるいいものだという

PET(Positron Emission Tomography)検査とは?まずほとんどの人が聞いたことないだろう。俺だってギリギリ腫瘍マーカーの存在をしっているぐらいである

 

どんな検査かといういうとガンがブドウ糖や糖類といったものに強く反応することを利用した検査方法である

まず人体に影響のない医療で使われるブドウ糖を打つ。1時間ほどしてそれらが全身に回った後、特殊な機械(MRIとは違う?俺にはわからん)で体を取る

するとガンがブドウ糖を取り込んで活発になっていたらその箇所が黒く映る

それでガンの大小であったりどの臓器にガンがあるのか一目でわかるのだ

 

実際は専門の人が見て黒くなっているけどガンではないとかあるかもしれないが(一般的に膀胱や脳はそれらの塊であるため黒く映ってもガンではない可能性があるとのこと)、とにかく親父はそんな大層な検査を行ったでのある

 

 

 

 

4月7日、親父のPET検査の結果がわかった

画像を見せつつ医師がガンの場所を教えてくれた

これまでの検査の通り親父がガンに侵されていたのは頭頚部のみで、他はそれらしい箇所がないとのことだった

 

扁平上皮癌は肺から来ることが多いと調べて分かっていたので、ひとまず肺にガンが出来ていないことに安堵する

肺がんはいわゆる発見された段階で手遅れなことがガンの中でも非常に多く、どれだけ生きれるかという指標である5年生存率でも肺ガンや膵臓ガンは10%前後になっていた

 

肺ガンではない―――その安心が深い息となって診療室に溢れた

 

と同時にある疑問が浮かんできた

 

じゃあ親父の首に出来たガンはどこからきたんだ?

扁平上皮癌はリンパに乗って肺などからいろんな箇所に行くことが多いと調べてわかっていたので、いわゆる原発巣がわからないのである

俺は少し齧った単語で先生に聞く

 

「つまり原発不明癌ってやつですか?」

 

ガンは自分の大本であるガンがあり、それが血液などにのって他の臓器へ広がせていくのが基本であり、原発巣はどこかしらに存在するのが普通だった

しかし極稀に原発巣がわからない、どこが起因となったガンなのかわからない原発不明癌という症例があるらしい。それがいいことなのか悪いことなのかその判断は俺に出来ないが、とにかく親父のガンはその可能性が高いとのことだった

 

「一応もう一つの可能性としては扁桃腺など首回りに出来ている可能性があります。黒くなっている箇所が肥大すぎてそれに隠れてしまっている可能性ですね」

 

俺は先生の口から出てくる言葉の一つ一つを噛みしめながらどうすればいいのか聞いた

 

「まず当院では手術できません。動脈が近い位置に腫瘍があるのでリスクがあるのです。大学病院なら施設もいいですし、外科手術をするならばそちらのほうがいいです」

 

ハッキリ言いきられてしまった。それはつまり親父の首元にある大きな首相は切除できないということだ

 

ガンの最良と言われる標準治療の第一に外科治療があったので、それができないということは必然的に抗がん剤放射線治療しかないということになる

そして俺の中でのガンを切らない=『切っても無駄』というイメージが少なからずあった

 

外科手術をすることで患者の体力を奪い、より死期を近くしてしまうというのはどうしてもあるようで、特に親父は65を超えている

体力的にも病域的にも手術がリスキーかもしれない、と医者はいうのだ

 

 

ガンは取ってしまえば怖くない……

 

そう、ガンは切れるうちに切っておくのが最も予後がいいのだ

 

 

俺の中にガンの摩訶不思議がどんどん出てきてしまった

先進医療国であるアメリカではそもそも切らずに『ガンと共存する』なんてことも言われてるらしい

 

体のことを考え取り除かない。しかし取り除かないと体にとってはよくない

この二律背反に親父は立たされてしまったのだ

 

全ては大学病院の専門医がどういう決断を下すのかである

親父にとっては一種の””死刑宣告””にも近しいそれを聞かなきゃならない本人の心境は知る由もない

 

―――親父は肝心なことをいつも言わず、自分の中で抱え込んでしまう性質なのだ